通勤電車より(ガラケーで毎朝チクチクと)。

もうすぐ40歳。慣れない携帯電話からの、主に通勤中のぐだぐだ日記です。広告会社に勤めていますが、新聞はとっていません。テレビもほとんど見ません。…なんて感じで2007年に書き出した日記も、書き続けてもう10年以上が経過しています。さすがに今ではガラケーではなく、スマホで書いてます。

東北関東大地震な日記

なんとも恐ろしいことが起き、朝の6時ごろ帰宅。
家族が一緒にいれる幸せと、家にいれる喜びをひしひしと感じながらソファで寝てしまい、今起きた。
もう昼だ。
残念ながら今日の長男のサッカーの試合と、明日のすべてのJリーグの試合は中止となってしまった。
毎晩深夜まで忙しい一週間だったボク。
いろいろと調整がついた昨日は、久しぶりに長男をサッカースクールにつれていき、次男の幼稚園に迎えに行ってやろう…と、かなり早い宇都宮線に乗って出発を待っていた。
最初は電車の揺れかな〜と思っていた。
隣に座っていたサラリーマンが、ケータイで話していて、笑いながら『あれー?地震みたいっすね〜』なんて言ってたら、その揺れは止まるどころか次第に大きくなっていった。
ただし、電車特有のサスペンションのお陰か、それほど大きな地震だと思わなかったことも事実だった。
電車もしばらくしたら発車するだろう…ぐらいな感じで車内でみんな待っていた。
一旦駅外に避難ください〜とアナウンスで言われて、そんな大きな地震だったのかな?と、ケータイのヤフーやツイッターを見ていたら、なんと宮城県震度7
そのあたりでケータイの電池が切れてしまい、さっぱり情報がなくなり、それでもまだその時は、東北は大変だなあ…なんて思っていて、まさか関東もとんでもないことになってるとは夢にも思わなかったのだ。
一時間待っても電車は発車しそうもなく、しょうがないのでアメ横の居酒屋に飲みに行ってしまった。
そこで店員さんにケータイの充電器を借り、妻に『今日はサッカースクールも幼稚園のお迎えも行けそうにないな〜。代わりに行ってくれる?』なんてメールを送ったら、『なに暢気なこといってんの?』と怒りのメールが返ってきたのだった。
まあそれでもやることはなく、駅に行ったがやっぱり電車は動いておらず…
仕方なく今度はビデオボックスに入り三時間寝てしまったのだ。
すでに夜10時になっていたがまだまだ電車は動いておらず。
妻からの電話で家族はボク以外一緒になれたことを確認したので…
『よし!自宅まで45km!歩いてみるか!』
と、歩き出したはいいが、睡眠不足と寒さと酒の影響で…15kmぐらい来た草加の直前で限界となり、近くの避難所となっていた中学校の体育館で休憩。
そこまで家族に車で迎えに来てもらい、帰宅は朝の6時だった。
そっからテレビやインターネットで地震報道を見て、今更ながらびっくり!…だ。
死者が1000人を超えているようだ。
恐ろしい…。

しかし疲れた一日だった…。